新太郎の苦しい思い出

若き日の新太郎の時代には
現代のように娯楽が溢れている時代では
ありませんでしたので、そう楽しみは
なかったともいえるでしょう。
しかし、当時の新太郎には不思議な
楽しみがありました。
それは一族神(歴史が古い地方では
歴史の中で他の豪族に滅ぼされない限り、
その土地の一族が、自らの祖先や尊敬
する人物を死後、神として祭るものを
いう。しかし、現実には時代の流れの
中でほとんどの神社では神々の威光と
いうよりは、人為的思惑によって取り
上げられた神が祭られている。)を祭る
祠を訪れるのが習慣であり、楽しみで
ありました。なぜならばそこに祭られ
ているのは祭られるにふさわしいから
こそ祭られている神とまみえる所であり、
新太郎自身の生き方の方向性を考える
上での理想であり、かく正しくありたいと
いう尊敬と敬愛の対象でありました。
しかし、それ以上に新太郎が祠に
足が向く理由に新太郎にはそこの神様が
見えるということにありました。
新太郎は他人に話すと気味悪く思われ
ることと思い他言することはありませんで
した。しかし、見えることは見えても
ほとんど会話はならづ、新之助が
一方的に話す程度のものでしたが、
新太郎は我が一族の功労者が神と
なつていると信じ、ひときわ親しみを
持つていたのでした。
あまり祠参りをしていると奇人と
見られかねないからと思っていたら
もう、一月にもなってしまったわ、
氏神さまはどうしているかな?
いやはや、生身の私が神様を心配して
どうするのか?いやはやおかしいのう、

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